ザビエル・ハゲ
2010年 09月 07日
7時に起きたけど、何だか倦怠感があったので、8時までゴロゴロして過ごす。テラスに水やって洗濯。水をまくと、匂いでもするのか、蜂とか蝶がやたら飛んできて、タイルの上に溜まった水を飲んでる。バッタまで来た(公園の隣なので、虫の絶対数が多い)。余りに乾いているから?
そして、今後のハゲ化に備え、美容室へ髪を切りに行く。暑いから車で。
美容師さんは、親戚のようなお付き合いをしていた幼馴染のお姉さん。カット上手。何度も賞を取って、ロンドンやパリの美容室で働いていたこともある。その頃、ちゃっかり私もイギリスに留学し、ロンドンで遊び回るのに下宿させてもらったりとか、色々お世話になっている。お姉さんはその時知り合った男性と結婚したので、夫婦とも仲良し。本当のお姉さんとお兄さんのような感じ。
お姉さんの妹さんとも仲良しなのだけど、彼女も乳がん。私より後になったので、色々アドバイスした。彼女は、ご主人の転勤で地方都市に在住。昨日もkoziさんと話題になったのだが、これだけサンアントニオとかサンクトガレンとかあるのに、どうして病院によって今だにレジメンが違うのか、本当に驚く。先生の趣味で決めるのだろうか?初期なのに全摘だったし。…でも、本人が家から近い病院がいい&全部取っちゃった方がすっきりする、とのことで、強くは口出ししなかった。幸い、再発も転移もなく元気にしているから、結果オーライか。
「XXちゃん、もう半年も来ないから、中国の僻地にでも飛ばされちゃったのかと思った」とか冗談。近い物はありました。蘇州だったけど。食事不味いし。
…やっぱなあ。半年も美容院に行けなかった。髪、伸ばし放題。まとめて捻ってピンで留めてアップとかにもできて、涼しくて良かったんだけど。ヘアマネキュアも取れてる。あらまー、本当に忙しかったんだよなあと、実感する。やっぱり働きすぎだったのかしらねえ?
でもさ、働く事をストップするのは難しい。働いていれば、そのうち、どんどん責任が与えられて、それをクリアすると昇進して、また新たにもっとたくさんの仕事が降って来る。それをクリアすると…。ガン細胞のように無限の増殖状態。集団の歯車として動いているわけだから、自分1人が、そこで勝手にスローダウンする訳にはいかない。
…するけどさ、今回は。
私が、病気でも、在宅でも、ちゃんと仕事ができるという姿を見せなければ、次に病気になった人のパスがなくなってしまう。社員全員が在宅で仕事があるかと言ったら、現実的にはNOだ。でも、そこは、第一番目の人間として、きっちり選択肢の可能性を作ってあげておかないとね。ま、気分&体調が良かったらなんですケド。
お姉さんとは、よく知っている間柄で、初発の時もハゲ頭をケアしてくれたし、カツラのカットもしてくれた。だから、「まーた抗がん剤で半分ハゲ状態だから、短く」とお願いした。
お姉さんのお父さん、とても良くしてくれたおじちゃんは、肺がんからあちこち転移して亡くなっていた。もう30年近く前。ガンをまだ本人には告知しなかったので、おじちゃんは最後まで自分がガンだとは思わずに、「今度ねえ、また新しい治療するんだ。頑張らないとなあ」と言っていた。ガリガリになっちゃって、酸素のテントに入っちゃって、それでも「今度の薬は効くといいなあ」なんて言ってた。誰もそんな事、思っていなかった。皆が、もうダメだって知っていた。本人も薄々気付いていたのかもしれない。でも、一生懸命ウソを突き通して看病している回りに、「本当は判ってるよ。もう、いいよ」なんて言えなかったのかもしれない。
緩和ケアなんて当然なくって、治療は辛くて当たり前で、患者はそれを我慢するのが当たり前で、QOLなんて概念はなかった。最後まで医学を信じて、手術したり抗がん剤したり。もう助からないので、最後くらい健やかで穏やかな日々を送らせてあげよう、なんて選択もなかった。それ=諦めを意味した。家族はだから、一縷の望みに縋って、苦しめるだけの手術でも治療でも、万が一に賭けた。本人の意思と関係なく。
ガンを本人に告知するようになって、すごく変わってきている。患者も、それを取り巻く環境も。まだ色々、足りない部分はあるけれど。
で、そんな世間話をしつつ、現状も頭頂部が薄い。抗がん剤止めてもホルモン治療で無理やり老化させているせいか、前髪と頭頂部の毛はあんまり戻って来ない。頭下半分の部分は大丈夫。私は元々ちょっと癖毛。で、おそらく今度の抗がん剤で、また頭頂部が薄くなると、限りなくフランシスコ・ザビエルに近い感じになるのではないかと二人で結論。すなわち、「ザビエル・ハゲ」=イエズス会宣教師フィーリング(ただし、前髪なし)
ですので、伸びていた髪をちょっとザビエルっぽく短くカット。
実家にハワイ土産置いて、家に帰ってからU先生とPたんに、治療が決まりました&色々ありがとうございましたとメール。U先生から「頑張ってください」とのお返事。L先生もメールで質問すれば、すぐ答えてくれる。いつも安心して治療に臨めるのは、こういうフォローがとても手厚いからだろう。
抗がん剤が効くかどうか、そんなの誰にも判らない。やってみなければ判らない副作用もある。生存率、奏功率、関係ない。患者にとっては、生きるか死ぬか、効くか効かないか、いつでも50%の賭け。ルーレットの赤か黒か。それだけ。でも、賭けすらできなければ、何も始まらない。
治療方法や今後に悩むのは先生方にお任せして、患者である自分は、提供される治療をしっかりクリアして賭けに参加できるよう、体力&気力を万全に整えていく。初発でもそうだったし、再発しても同じ。素人が悩んでも限度がある。ある意味、合理的分業。
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そして、今後のハゲ化に備え、美容室へ髪を切りに行く。暑いから車で。
美容師さんは、親戚のようなお付き合いをしていた幼馴染のお姉さん。カット上手。何度も賞を取って、ロンドンやパリの美容室で働いていたこともある。その頃、ちゃっかり私もイギリスに留学し、ロンドンで遊び回るのに下宿させてもらったりとか、色々お世話になっている。お姉さんはその時知り合った男性と結婚したので、夫婦とも仲良し。本当のお姉さんとお兄さんのような感じ。
お姉さんの妹さんとも仲良しなのだけど、彼女も乳がん。私より後になったので、色々アドバイスした。彼女は、ご主人の転勤で地方都市に在住。昨日もkoziさんと話題になったのだが、これだけサンアントニオとかサンクトガレンとかあるのに、どうして病院によって今だにレジメンが違うのか、本当に驚く。先生の趣味で決めるのだろうか?初期なのに全摘だったし。…でも、本人が家から近い病院がいい&全部取っちゃった方がすっきりする、とのことで、強くは口出ししなかった。幸い、再発も転移もなく元気にしているから、結果オーライか。
「XXちゃん、もう半年も来ないから、中国の僻地にでも飛ばされちゃったのかと思った」とか冗談。近い物はありました。蘇州だったけど。食事不味いし。
…やっぱなあ。半年も美容院に行けなかった。髪、伸ばし放題。まとめて捻ってピンで留めてアップとかにもできて、涼しくて良かったんだけど。ヘアマネキュアも取れてる。あらまー、本当に忙しかったんだよなあと、実感する。やっぱり働きすぎだったのかしらねえ?
でもさ、働く事をストップするのは難しい。働いていれば、そのうち、どんどん責任が与えられて、それをクリアすると昇進して、また新たにもっとたくさんの仕事が降って来る。それをクリアすると…。ガン細胞のように無限の増殖状態。集団の歯車として動いているわけだから、自分1人が、そこで勝手にスローダウンする訳にはいかない。
…するけどさ、今回は。
私が、病気でも、在宅でも、ちゃんと仕事ができるという姿を見せなければ、次に病気になった人のパスがなくなってしまう。社員全員が在宅で仕事があるかと言ったら、現実的にはNOだ。でも、そこは、第一番目の人間として、きっちり選択肢の可能性を作ってあげておかないとね。ま、気分&体調が良かったらなんですケド。
お姉さんとは、よく知っている間柄で、初発の時もハゲ頭をケアしてくれたし、カツラのカットもしてくれた。だから、「まーた抗がん剤で半分ハゲ状態だから、短く」とお願いした。
お姉さんのお父さん、とても良くしてくれたおじちゃんは、肺がんからあちこち転移して亡くなっていた。もう30年近く前。ガンをまだ本人には告知しなかったので、おじちゃんは最後まで自分がガンだとは思わずに、「今度ねえ、また新しい治療するんだ。頑張らないとなあ」と言っていた。ガリガリになっちゃって、酸素のテントに入っちゃって、それでも「今度の薬は効くといいなあ」なんて言ってた。誰もそんな事、思っていなかった。皆が、もうダメだって知っていた。本人も薄々気付いていたのかもしれない。でも、一生懸命ウソを突き通して看病している回りに、「本当は判ってるよ。もう、いいよ」なんて言えなかったのかもしれない。
緩和ケアなんて当然なくって、治療は辛くて当たり前で、患者はそれを我慢するのが当たり前で、QOLなんて概念はなかった。最後まで医学を信じて、手術したり抗がん剤したり。もう助からないので、最後くらい健やかで穏やかな日々を送らせてあげよう、なんて選択もなかった。それ=諦めを意味した。家族はだから、一縷の望みに縋って、苦しめるだけの手術でも治療でも、万が一に賭けた。本人の意思と関係なく。
ガンを本人に告知するようになって、すごく変わってきている。患者も、それを取り巻く環境も。まだ色々、足りない部分はあるけれど。
で、そんな世間話をしつつ、現状も頭頂部が薄い。抗がん剤止めてもホルモン治療で無理やり老化させているせいか、前髪と頭頂部の毛はあんまり戻って来ない。頭下半分の部分は大丈夫。私は元々ちょっと癖毛。で、おそらく今度の抗がん剤で、また頭頂部が薄くなると、限りなくフランシスコ・ザビエルに近い感じになるのではないかと二人で結論。すなわち、「ザビエル・ハゲ」=イエズス会宣教師フィーリング(ただし、前髪なし)
ですので、伸びていた髪をちょっとザビエルっぽく短くカット。
実家にハワイ土産置いて、家に帰ってからU先生とPたんに、治療が決まりました&色々ありがとうございましたとメール。U先生から「頑張ってください」とのお返事。L先生もメールで質問すれば、すぐ答えてくれる。いつも安心して治療に臨めるのは、こういうフォローがとても手厚いからだろう。
抗がん剤が効くかどうか、そんなの誰にも判らない。やってみなければ判らない副作用もある。生存率、奏功率、関係ない。患者にとっては、生きるか死ぬか、効くか効かないか、いつでも50%の賭け。ルーレットの赤か黒か。それだけ。でも、賭けすらできなければ、何も始まらない。
治療方法や今後に悩むのは先生方にお任せして、患者である自分は、提供される治療をしっかりクリアして賭けに参加できるよう、体力&気力を万全に整えていく。初発でもそうだったし、再発しても同じ。素人が悩んでも限度がある。ある意味、合理的分業。
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by ombres
| 2010-09-07 19:53
| 再発後治療