困った病気になっちゃったひとりぼっちな人のために


by ombres
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生活再設計

そこまでがちょっと色々面倒臭い予感がしますが、あと3日でお休み。たぶん今年一杯は在宅かなあ?と思いつつ。まあ、それまでに急変して死ぬとか、事故って死ぬかもしれないし。先の事はわからない。とりあえず、生活を立て直すと決意。

今までも結構好き勝手に生きてきたと思えるんだけど、これから残りの人生について、後悔ないようさらにやりたい事をやる。今までやりたくても忙しくてできなかった事にフォーカスして再設計。

1) 早寝、早起き
(夜は遅くても12時には寝る。朝は早起きして、テラスの植物に水遣りしたり、近所の公園を散歩したり。朝までゲーム生活は止める。ゲーム続ける場合は早朝にシフト)

2) 健全な食生活、体のメンテナンス
(好きな物を栄養のバランスを考えつつ食べる。ヨガ、整体、マッサージ、アロマなど、心身をリラックスさせる時間を必ず毎日作る)

3) 家の中の掃除
(無駄な物を捨てる。バザーに寄付する)

4) 社会貢献
(元気なうちに、地域のボランティアなどに参加する)

1)、2)、3)は自分ひとりでもできるし、今までも少しはやってきた事があるので、たぶん簡単なんだけど、4)は難しい。以前から時間ができたらと考えていたんだけど、時間ができなかった。時間が少しできても、自分の遊びに費やしていた。

で、ボランティアって具体的に?今までの経験は?と考えると、人生最初のボランティアは、日曜学校の子供達でお年寄りの病院に行って、歌ったり踊ったりしたこと?次は、学校のイニシアチブで、施設の子供達と遊んだり寄付したりしたこと?あとは、地元の教会にバザーの寄付したりとか?

…と、考えると、何となく地域のボランティア=地域の教会なイメージ。日本のお寺はそういう事あんまりしていない様子だし。子供の頃から日曜学校に行ったり、ミッションスクールだったので、聖書の勉強して、日曜日は教会に通っていた。挫折して結局クリスチャンにはならなかったんだけど、結構良い思いでばっかりなんだよなあと懐かしく思い出した。

子供の頃の日曜学校なんか、本当に楽しかった。イースターの卵探し、チョコレート。牧師さんの奥さんが焼いてくれたチーズケーキ。クリスマスのジンジャークッキー…。

…って、全部、食べ物のこと?
子供時代の食べ物の刷り込み、恐るべし。

私の学校は、明治時代にアメリカ人の女性宣教師が、日本婦女子の教育のために創設した学校で、聖書の授業が日本語と英語であった。英語は、聖書の言葉をしつこく刷り込まれて自然に覚える。中学高校の毎日の礼拝は退屈だったが、サンクスギビングとかクリスマスの劇とかハレルヤコーラスとか、イベントは面白かった。でも、当時の私は、アメリカ人の聖書の先生が、サンクスギビングの歴史(アメリカ大陸に流れ着いた移民が、最初の冬、凍え&飢え死にしそうになったところを、原住民が助けてくれ、作物の作りかたなども教えてくれた。翌年、収穫ができるようになった最初の秋に、作物を神に供えて、神に感謝した。ついでに、原住民も招いて食べ物を振舞った風味な新大陸起源イベント。いまでは、北米で「とりあえずターキーを食べるイベント」になっている)を話してくれても、

「どうして種を分けてくれて、作物の育てかたを教えてくれて、命を助けてくれたネイティブアメリカンに感謝しないで、神に感謝すんの?どうして助けてもらったのに、虐殺したの?隣人を愛せとか言ってて、恩人を殺すの?やってることが言ってる事と違って、おかしい」

と、一々納得いかなかったりしたものだった。子供はピュアなのだ。若いアメリカ人女性の先生は私の疑問に応えられなかった。矛盾していて欺瞞だと思った。でも、大人になって知識が増えれば、色々見方が変わる。

要するに、当時、新大陸に移民した白人にとって、原住民は「神が自分達のために遣わしてくれたモノ」で、牛とか馬みたいな動物みたいな感覚だった。だからソレを遣わしてくれた神に感謝する。この辺りが、唯一絶対の神がいて、神が自分をコピーして作成した人間のために何かを遣わしてくれる感覚。八百万の神があちこちに宿るアニミズム的な背景とは、かなり違う。さらに、当時は「人種差別」なんて言葉もない頃。白人=人間、有色人種=動物か奴隷。当時の人が特に残酷だったとか、無知だったとか、彼らの信仰がそうさせたとかではない。当時は、それが当たり前だった。有色人種は人間と認識されていなかった。それだけの話。当時の人々には、当時の価値観や教育があった。彼らの言動はそれに基づいて決定された。それを現在の価値観の物差しで計るのはフェアではない。

子供時代には納得いかなかったキリスト教ではあったが、欧米社会には非常に深く根付いており、イディオムや物事の考え方、社会制度の根底を成す価値観が派生していたりしている。社会学系の学説や刑罰の考え方なども、宗教観に基づいていたりもする。聖書やキリスト教を勉強したことは、それらを理解するための大きな財産になったので、非常に感謝もしている。

…ですから、とりあえず、目先のことから始める。教会は基本的に来る者を拒まない。近所の教会のクリスマスイベントなどのフライヤーがマンションのポストに入っていたのを思い出した。WEBで見つけて連絡し、日曜日なので礼拝へ行ってみた。遠いと面倒で通わなくなる。徒歩5分。ナイス。

礼拝は、基本的に賛美歌と聖書の言葉、牧師先生のお話、祈り等で構成されている。コンテンポラリー系な賛美歌で知らなかったけど、聖書は同じ。しかも、バイリンガル教会だった。丁度、今日のテーマは「羊飼い」で、詩篇の23:1-6。とても有名な一節。「あ~、『たとえ死の影の谷を歩こうとも…』『Even though I walk through the valley of the shadow of death…』だ、こりゃ」と、記憶に残っており、懐かしい気分になった。それを習った頃には、「死の影の谷」なんて、ナニソレ?って感じで、まだ全く想像もできなかったけれど。

その教会での奉仕活動には、私でもちょっとお手伝いできる事がありそう。もちろん、治療が第一だし、仕事も続けるけど、自分の時間とお金を少しだけ、他の誰かのために。自分が恵まれた知識や教育を受けるための学校には、税金が使われていたはず。税金は結構払ってきているけど、それ以外に、与えられた物を少しでも社会に還元できたら、それで自己満足。元気なうちに。


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by ombres | 2010-08-22 15:12 | 毎日