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困った病気になっちゃったひとりぼっちな人のために


by ombres
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田原節子さんのこと

昨日は咳が出過ぎ。で、電話相手のTに「その咳、変だよ」と言われたので、都内クリニック内科のU先生(主治医のU先生とは別の先生)に電話して相談してみる。「肺のガンの進行が思いがけず早かったのかしら?」などと浸っていると、単に「風邪じゃないですかネ」とか言われて終わり。まあ、進行していたとしてもとりあえず二週間はXCな訳で、ガタガタしても仕方ない。風邪については、今週金曜日に診ていただく予定なので、まあいいとした。

で、風邪だとしたら、暖かく大人しくしていれば、数日で普通に治るはず。エアボーンでビタミンとミネラルをブーストして、頭は保冷剤を手ぬぐいで包んで冷やし、足は湯たんぽで温め。余り熱が出ない体質なので、水分補給して、これでガンガン汗かきながら寝れば、大抵は平気。で、ゼローダとエンドキサンを飲んだら、久々にレンドルミンで、無理やり眠ってしまう。朝7時にすっきり目が覚める。喉のわずかな痛みと、咳ちょっとに収まっているので、大丈夫そう。

で、洗濯と、寝室の模様替え。ベッドの位置を変えてみる。ついでに徹底的にお掃除。あんまり頑張ることもないので、一日一部屋。今日は寝室だけ。病人に優しいレイアウトにKAIZEN(トイレまでの歩行距離を短く。動作数を減らす)し、アロマ用品も設置した。あとは家中のマットも洗濯して、全体に軽く掃除機かけて、終わり。肺を労わるために、お掃除中はマスク着用。今日の予定は、あとはウィルスソフトの入れ替えと溜まっているDVDを見る。終わり。何てステキ。

ここ数年は、自分がガン患者だという事を忘れて過ごしていた。3ヶ月に一度のリュープリンや通院はあっても、検査は形式的だったし、いつも異常なしだったし。最初の頃は、どこか痛いと「て、転移か?」とビクついたものだったが、それも、3年、5年と経つうちに鈍感になっていった。最初の頃は同じガン患者さんのサイトやブログをよく見ていたが、そのうち自分の日常から「ガン」は消えて行った。あえて、見ないようにしていたのかもしれない。

で、転移してから、最初の治療の頃のことを思い出してみるようにした。何たって6年も前だし、抗がん剤のせいで脳細胞も破壊されたし、ホルモン治療のせいで記憶力はウソみたいに衰えているし、もや~っとセピアな感じで、全体的にうろ覚え的だったり抜け落ちたりしているのだけど、はっきりと心に残っているシーンや言葉がある。

田原節子さんに、一度だけ、お会いしたことがある。
患者活動を活発にされていたLさんという方が、ご自分も独身だったので、私をとても可愛がってくださった。進行ガンだったので可哀想にも思っていてくれたのか、色々な所に連れ出してくださった。(今回、「転移しちゃいました」なんて報告すると、「全く、何やってんの!」何てすご~く怒られそうなので、まだ言ってません。秘密。でも、Lさんは何十年も前に全摘で、その後に海外出張とか海外赴任とかこなされていた方で、現在もバリバリご活躍中なので、男性社会で対等にやっていくには、実際には男性の何倍も頑張り続けなきゃならなくて、スローダウンなんて絶対に無理というのを、たぶん一番理解してくれるだろうとも思ったり。)

田原さんはLさんのお友達だった。
一度目は、自由が丘で「私を励ます」という目的でお約束したのだが、節子さんの体調がお悪くて実現しなかった。ガンになりたての私を励ますどころか、当時の節子さんの方がよっぽど大変な治療をされていた。

実際にお会いできたのは、春先。節子さんのご自宅(仕事場)で、ACSが販売している帽子を取り寄せて、品評会みたいなイベント。他にも節子さんとLさんのお友達のガン患者さんが数人来ていらした。失礼な話だが、私はその前にずっと日本にいなかったのと、日本のテレビや雑誌を余り見ないので、節子さんがどんな方なのか、よく知らなかった。田原総一朗さんは「朝まで生テレビ」の司会?その人の奥さん?程度の認識。

節子さんはエッセイスト。1998年に炎症性乳がんで余命半年と診断され、その後6年、全身のあちこちに転移しながらも精力的に活動を続けられて、当時、S病院で治療を受けられていた。その頃は、もう車椅子で、お嬢さんと妹さんが付き添って介護されていた。それでも、節子さんは背筋を伸ばして、そして、お二人が何か手を出そうとすると、ピシャリと叩き退け、できる事はすべてご自分でやられていた。

皆でキャーキャー笑って、お食事して。
少しだけ穏やかに春めいた日。楽しい一日だった。

ガンになって以来、ずーーーっと、年上の皆さんや先輩患者さんに「頑張ってね」と言われ続けていた私は、帰る時、

「今日はどうもありがとうございました。これからの治療、頑張ります」と無難に言ってお別れしようとした。

ところが、節子さんは、私の手を握り、

「治療、頑張らなくていいの。『生きる』のよ」

そう言われた。

「治療を頑張らなくていい」…そう先輩患者さんから言われたのは初めてだった。


数ヶ月後、節子さんは亡くなった。
私の手術の3日後。丁度、入院していたので、退院してから知った。お別れには伺えなかった。

それから6年、時間を与えられた。
節子さんが仰られたように、自分は『生きて』こられたのだろうか?

かなり不明。

でも、弱っちゃった全身に宿る節子さんの強い意思と矜持、女子高生のような皆の笑い、佃の川の水面に反射する光の美しさ、まだ肌寒かったけど僅かに春めいていた風の優しさ、そしてお食事の美味しさは、今でも鮮やかに記憶に残っている。


…結局、自分は食い気に戻る人間?
リターントゥザベーシックってヤツですかね。


節子さんの5年間の対談:
ガンサポート情報センター「田原節子のもっと聞きたい」



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# by ombres | 2010-09-09 14:37 | 亡くなった友達のこと

患者としてできること

患者として、こんな事(物)があったら良かったのに。こんな風になったら良かったのに。…もしできたら、新しい患者さんが少しでも楽になるのではないか?少しでも快適な患者ライフが送れるのではないか?

…そう願って、色々な活動を始めたお友達がいます。
私は、一歩踏み出した二人を、とても誇りに思います。

ご賛同いただけたら、どうか活動にご協力ください。


ボイス・オブ・ペイシャント
補整具の医療費控除請願を厚生労働大臣に提出するための署名活動。

Ruban Rose
乳ガン患者にフォーカスした実用的なアロマ情報の提供、出版を予定。


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# by ombres | 2010-09-08 23:59 | 患者としてできること
American Cancer Society アメリカの患者サポート、ガン撲滅活動な組織。ボランティア&寄付多数。24時間ホットラインなどもあって、ガン患者に必要な情報を提供する。各州に出張所(?)もあり、そこで直接サポートを受けることもできる。

ハワイのACS。ハリーとジャネット(ガン患者さん)からの寄付の家で、その名前が残されている。庭にプルメリアが咲く素敵なお家。裏庭にももう一つ建物がある。
a0162162_9595514.jpg

脱毛するので、ACSが販売している帽子を購入するためコンタクト。販売は通販でしかやっていないけど、帽子やカツラのサンプルが置いてあり、サイズが確認できる。無料で1つ新品と、寄付された帽子、リレーフォーライフのTシャツもくれた。あと、全体がシャーリングで伸び伸び素材でできていて、マジックテープで開閉できる、チューブトップのような下着。手術後とか放射線の時に便利でいいかも。これはTがI先生に「K病院で、こんなの導入したらどう?」って参考に持ち帰る。色々貰ったからという訳ではないけど、素晴らしい組織。

啓蒙イベント、寄付金イベントもしているとのことで、先日の地元の寄付金イベントのカードを見たら、一人で7500万円寄付している人がいてびっくり。歯医者さんで、奥さんがガン患者さん。

日本は、お金持ちが個人でそんなに寄付するかなあ?邸宅一軒とか。ACSのサイト運用費も個人からの寄付だし。

江戸時代には「長屋」みたいな所属集団における相互扶助の概念が、すでにあったはずなんだけど、赤の他人に対するボランティアとか寄付の概念がきちんと社会に入ってきたのは、ごく最近なように思う。どちらかというと、個人が「何かを残したい」という意識は、身内=家族に向いてる。元々が社会契約論ベースじゃないからか?

「病気」や「障害」や「老い」といった事象が、「当たり前の社会の構成員条件」から少しでも外れる存在で、その世話をしたり面倒を見るのは家族の責任&義務みたいな概念はどこから来たのか?物理的にも、精神的にも、経済的にも。本人にも「他人の世話になりたくない」みたいな意識があるし、回りも「自分の家族の面倒くらい、責任持って見ろよ」みたいな認識がある。

まあ、大家族ならサポートもできるかもだけど、核家族化&高齢化が進むと、家族自体がいないかもだし、家族の負担も半端ではなくなってくる。「介護に疲れて、老母を殺して自殺しようとする息子」…なんて事件があったけど、その息子も、世間一般的には自分だってサポートが必要な老人だったりする訳で。毅然と自分達家族だけで世界を完結しようとした姿勢はある意味潔くて立派だが、どうしてもう少し、他人の善意に縋らなかったのか?行政の助けを求めなかったのか?というような悲しい憤りを感じる。日本人の「他人に迷惑をかけないで、家族単位で完結する矜持」が、最早時代遅れになってしまっている。現実にそぐわない物になってしまっているのだ。


その後、Tと日本で「ガン協会」とかサーチしてみる。
まあ、あることはある。でも、あくまでガン撲滅を目的とした医療従事者の研究の組織で、患者サポートは全く目的としていない。患者専用24時間ホットラインなんて、一体どこの世界の話?というお寒い現状。しかも最終更新が2年前とか。明らかに死んでる。

患者は、最初は誰でも多かれ少なかれ、パニックになる。
夜、不安になって、家族にも言えず、1人で。色々悪い方にばかり考えてしまって、グルグルするかもしれない。社会人経験豊富で打たれ強い年寄りでも、「マジですか?」と鬱っぽくなるのに、若い患者さんならもっと大変かもだし。そこで誰か、知識を持つ人に客観的にじっくり話を聞いてもらえたら、色々な情報を提供してもらえたら、それだけでどれだけ癒されるだろう?

情報過多社会と言われても、自分が必要とする情報をきちんと入手して、それを理解できている患者さんは、実は少数だ。乳がん患者のメーリングリストを見ていると、つくづくそう思う。

格差社会。
同じガン患者にも格差はある。仕方ないこと。
だけど、せめて情報的には限りなく平等になれないものか?ちょっと考えてしまう。



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# by ombres | 2010-09-08 10:56 | 患者としてできること

ザビエル・ハゲ

7時に起きたけど、何だか倦怠感があったので、8時までゴロゴロして過ごす。テラスに水やって洗濯。水をまくと、匂いでもするのか、蜂とか蝶がやたら飛んできて、タイルの上に溜まった水を飲んでる。バッタまで来た(公園の隣なので、虫の絶対数が多い)。余りに乾いているから?

そして、今後のハゲ化に備え、美容室へ髪を切りに行く。暑いから車で。

美容師さんは、親戚のようなお付き合いをしていた幼馴染のお姉さん。カット上手。何度も賞を取って、ロンドンやパリの美容室で働いていたこともある。その頃、ちゃっかり私もイギリスに留学し、ロンドンで遊び回るのに下宿させてもらったりとか、色々お世話になっている。お姉さんはその時知り合った男性と結婚したので、夫婦とも仲良し。本当のお姉さんとお兄さんのような感じ。

お姉さんの妹さんとも仲良しなのだけど、彼女も乳がん。私より後になったので、色々アドバイスした。彼女は、ご主人の転勤で地方都市に在住。昨日もkoziさんと話題になったのだが、これだけサンアントニオとかサンクトガレンとかあるのに、どうして病院によって今だにレジメンが違うのか、本当に驚く。先生の趣味で決めるのだろうか?初期なのに全摘だったし。…でも、本人が家から近い病院がいい&全部取っちゃった方がすっきりする、とのことで、強くは口出ししなかった。幸い、再発も転移もなく元気にしているから、結果オーライか。

「XXちゃん、もう半年も来ないから、中国の僻地にでも飛ばされちゃったのかと思った」とか冗談。近い物はありました。蘇州だったけど。食事不味いし。

…やっぱなあ。半年も美容院に行けなかった。髪、伸ばし放題。まとめて捻ってピンで留めてアップとかにもできて、涼しくて良かったんだけど。ヘアマネキュアも取れてる。あらまー、本当に忙しかったんだよなあと、実感する。やっぱり働きすぎだったのかしらねえ?

でもさ、働く事をストップするのは難しい。働いていれば、そのうち、どんどん責任が与えられて、それをクリアすると昇進して、また新たにもっとたくさんの仕事が降って来る。それをクリアすると…。ガン細胞のように無限の増殖状態。集団の歯車として動いているわけだから、自分1人が、そこで勝手にスローダウンする訳にはいかない。

…するけどさ、今回は。
私が、病気でも、在宅でも、ちゃんと仕事ができるという姿を見せなければ、次に病気になった人のパスがなくなってしまう。社員全員が在宅で仕事があるかと言ったら、現実的にはNOだ。でも、そこは、第一番目の人間として、きっちり選択肢の可能性を作ってあげておかないとね。ま、気分&体調が良かったらなんですケド。

お姉さんとは、よく知っている間柄で、初発の時もハゲ頭をケアしてくれたし、カツラのカットもしてくれた。だから、「まーた抗がん剤で半分ハゲ状態だから、短く」とお願いした。

お姉さんのお父さん、とても良くしてくれたおじちゃんは、肺がんからあちこち転移して亡くなっていた。もう30年近く前。ガンをまだ本人には告知しなかったので、おじちゃんは最後まで自分がガンだとは思わずに、「今度ねえ、また新しい治療するんだ。頑張らないとなあ」と言っていた。ガリガリになっちゃって、酸素のテントに入っちゃって、それでも「今度の薬は効くといいなあ」なんて言ってた。誰もそんな事、思っていなかった。皆が、もうダメだって知っていた。本人も薄々気付いていたのかもしれない。でも、一生懸命ウソを突き通して看病している回りに、「本当は判ってるよ。もう、いいよ」なんて言えなかったのかもしれない。

緩和ケアなんて当然なくって、治療は辛くて当たり前で、患者はそれを我慢するのが当たり前で、QOLなんて概念はなかった。最後まで医学を信じて、手術したり抗がん剤したり。もう助からないので、最後くらい健やかで穏やかな日々を送らせてあげよう、なんて選択もなかった。それ=諦めを意味した。家族はだから、一縷の望みに縋って、苦しめるだけの手術でも治療でも、万が一に賭けた。本人の意思と関係なく。

ガンを本人に告知するようになって、すごく変わってきている。患者も、それを取り巻く環境も。まだ色々、足りない部分はあるけれど。

で、そんな世間話をしつつ、現状も頭頂部が薄い。抗がん剤止めてもホルモン治療で無理やり老化させているせいか、前髪と頭頂部の毛はあんまり戻って来ない。頭下半分の部分は大丈夫。私は元々ちょっと癖毛。で、おそらく今度の抗がん剤で、また頭頂部が薄くなると、限りなくフランシスコ・ザビエルに近い感じになるのではないかと二人で結論。すなわち、「ザビエル・ハゲ」=イエズス会宣教師フィーリング(ただし、前髪なし)

ですので、伸びていた髪をちょっとザビエルっぽく短くカット。
実家にハワイ土産置いて、家に帰ってからU先生とPたんに、治療が決まりました&色々ありがとうございましたとメール。U先生から「頑張ってください」とのお返事。L先生もメールで質問すれば、すぐ答えてくれる。いつも安心して治療に臨めるのは、こういうフォローがとても手厚いからだろう。

抗がん剤が効くかどうか、そんなの誰にも判らない。やってみなければ判らない副作用もある。生存率、奏功率、関係ない。患者にとっては、生きるか死ぬか、効くか効かないか、いつでも50%の賭け。ルーレットの赤か黒か。それだけ。でも、賭けすらできなければ、何も始まらない。

治療方法や今後に悩むのは先生方にお任せして、患者である自分は、提供される治療をしっかりクリアして賭けに参加できるよう、体力&気力を万全に整えていく。初発でもそうだったし、再発しても同じ。素人が悩んでも限度がある。ある意味、合理的分業。


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# by ombres | 2010-09-07 19:53 | 再発後治療

「自分人体実験」禁止

時差ぼけも直り、朝7時起床。テラスの鉢植えに水をあげて草むしり。ミューズリーにナッツ加えて、豆乳と青汁でバナナと。緑茶。…健康的な朝。でも、飛行機で風邪ひいたみたいで喉が痛い。今日から抗がん剤開始予定なのに、ヤバイ。

10:00に出て、11:30病院着。乗り継ぎがとってもいい感じ。診察は13:30なので、久々にkoziさんとランチすることに。久しぶりなのに、全然変わりない。病院内の食堂は余りにイケてなかったので、ちょっと離れたベーカリー併設コーヒーショップへ。トロピカルな風を感じてもらうため、ハワイ土産なホノルル・クッキー・カンパニーとトロピカルゼリーを無理やり押し付け。

13:45くらいに診察室に呼ばれる。
CTとマンモ画像を眺める。マンモ異常なし。乳腺がまだ結構頑張っている。CT画像では、胸の中央に怪しい巨大な丸い塊を発見した!

「先生、これも怪しくないですか?真っ黒で」
「これは、息する穴ですヨ」

…あ、そうでしたか。
さらに観察を続けると、肺に怪しいところを見つけた。

「先生、これがガンなんですね?」
「これないと死にますヨ、動脈です」

…あ、そうでしたか。

「ガンは、この辺とこの辺ですヨ」

胸膜にがっちり2箇所&肺に砂を播いたように散らばる点がガンらしい。万遍なく広がっている。でも、他の白い点と区別が難しい。でも、こんなにたくさんあったら、手術とか放射線とか、ピンポイントでは無理だわよねえ。

「左の胸膜も、ぶよぶよして怪しいですヨ。前からですかね?」

マジで?
でも、ガンの数が多ければ多いほど、抗がん剤の効果ってありそう。巨大な塊1個より、小さい塊多数の方により効きそうなイメージ。なぜなら、肉をマリネにする時も、小さい方が漬け汁の味が染み込み易いし。

とりあえず、2週間薬。1週間お休み。というスケジュール。ゼローダは1200mg(4錠)X2、エンドキサン50mg(1錠)X2。

キャビネットを整理して、謎の薬がやたらにあるのを発見した。ゼローダは、なぜか100錠くらい溜め込んでいたので、今回はエンドキサンだけ処方してもらう。

「勝手に量を増やして飲んだりしないでくださいヨ、絶対に」

と、釘を刺される。
ゼローダ、やたら余っていたし、どれくらいまで増やしても平気か?と一回2400mg(8錠)X2まで飲んでみたら、数日で、即、手に色素沈着が出たという話をしていたから。自分では副作用の確認ができ、満足感に浸っていたのだが、先生から「自分人体実験」の禁止を先に言い渡され、ちょっとつまらない感が漂う。

「エンドキサンとゼローダで、注意することは…」

今まで冗談なんだか真面目なんだか判らない感じだった先生が、急に真面目な顔で言う。

まあ、白血球が下がって人ごみ禁止とか?まあ、この私は点滴のエンドキサンを、既に経験済みなんですからねぇ、と余裕で構えていると…

腐った物を食べたりしないこと

…はあ?

「体の抵抗力が弱りますので、普段はならない変な病気になっちゃったりする訳ですヨ」

訝しげな顔の私に先生が説明してくれる。
いや、それは判りますけど、「腐った物を食べたりしないこと」って…。
先生の中にある私のイメージって?よっぽど食い意地はってる?

「胃が弱いですかね?」
「荒れますか?」
「荒れますヨ」
「ガスターも持っているので、一緒に飲むんでOkでしょうか?」
「まあ、それでいいですヨ」

ガスターもなぜか120錠くらい溜め込んであるので、これで在庫クリアランス。

「そういえば、風邪ひいたみたいで、喉痛いんですけど、治ってから始めた方がいいでしょうか?」
「いや、平気でしょう。熱が出たら、止めてください」
「以前、抗がん剤の時、危なそうになったら飲む抗生物質いただいていたんですけど、今回は要りませんか?」
「いや、平気でしょう」

何~だ。アバウトでいいのか。
じゃあ、今日からじゃなくて、明日、朝、喉が痛くないのを確認してから始めようと決意。明後日からでもいいかも。一日や二日で、死にそうに巨大化することもないだろうし。


その後、I先生を出待ちして侵入、まったりと世間話。娘さんの写真を見せてもらう。3歳半で可愛いさかり。私が手術で入院していた頃は、PたんもI先生も独身だった。今は二人とも子持ちのママ。不思議な感じ。まあ、6年も経ったんだもんねえと、しみじみする。

その後、看護士さんが抗がん剤経験者を対象に主催してくれたセミナーへ。2:00からなので、当然、遅刻する。

外部から専門家を呼んで行うセミナー。参加費無料。K病院は看護士さんがとても熱心で、このような活動が盛ん。副作用の悩み相談とか、リンパ浮腫の対策とか、色々なセミナーをやっている。今回は、化粧品会社のアドバイザーさん達を招いて、「抗がん剤で荒れてしまった手と爪のお手入れセミナー」

爪の仕組み。お手入れの仕方。ハンドマッサージの仕方などを習う。

抗がん剤治療をすると、手や爪が荒れる。皮が剥けたり、爪が取れたり。患者さんによって出かたが違うけど、普通の人とも悩みが違う。以前は、よくネイルサロンでネイルをしていたが、手術側の手のキューティクルを深く切られたり押し戻されたりするのが怖くて、最近では殆どやらなくなった。爪も弱くなってしまったし、すべてのネイルアーティストに、乳がん患者リンパのリスクの理解があるとも思えない。だから、自分でお手入れできるよう、患者フォーカスなこんな講座は貴重だ。

そこで久しぶりにみるふぃーゆさんと再会。相変わらず素敵なマダム。病院前のケーキ屋さんでお茶。手作り化粧水と石鹸をいただき大興奮。みるふぃーゆさんにも、「トロピカルな風セット」を押し付け。

後ほど、診察&マンモ終了のkoziさんも参加。実はkoziさんは、みるふぃーゆさんが、以前ブログじゃなくてサイトをやっていらした頃、本当に初期の頃からの読者なのであった。そこで、みるふぃーゆさんの現在進行形プロジェクトの話を伺ってわくわくする。koziさんは、某有名ファッション雑誌の元エディターさんなので、「みるふぃーゆプロジェクト」に大協力できそう。運命的な出会い。

手術、抗がん剤や放射線、ホルモン治療は経験した人でないと判らない事がたくさんある。市販のガン情報の本はお医者さんが書いたり、暗くなっちゃうようなデータの羅列だったりで、イケてない。企業がバックアップしている乳がん活動は、企業イメージをアップするための広報的活動だったりして、必ずしも患者的立場な物でもない。新しい患者さんが少しでも楽しく治療ができるよう、1人で悩んで悲しい思いをしないよう、経験者から色々な情報提供やお手伝いができたらいいなあと常々考えていた。koziさんもみるふぃーゆさんも、それぞれが得意な分野でそんな活動を広げようとしていた。二人とも頑張っている。自分も頑張ろうという気持ちにさせられた。でも、自分の得意分野は殺伐としているだけで、乳がん患者の役に立つどころか、逆に気分を暗くしてしまうリスクすらあるので、ちょっとダメかと思った。マニアックな人ならいいかもだけど。


帰り、ハンドケアセミナーで一緒になった年配の女性が、バス停の時刻表の字が見えないみたいだったので、大声で読んであげて、バス内で世間話。年一の定期健診のレントゲンで、肺がんが見つかったという。

「でもね、定期健診のレントゲンで見つかるような大きさだと、もう初期じゃなくて、手遅れなんですって」

えええ?そうなの?
だとすると、定期健診のレントゲンの存在価値皆無。

「肺がんだけはねえ、知り合いの方が何人も肺がんで亡くなっていて、もう苦しんで苦しんで、悲惨だったから、肺がんだけはイヤだと思っていたのよねえ」

…何とタイムリーな。そうですか。

あなたはどこのガンなの?と聞かれたので、乳がんの肺への転移だと言うと、「まー、あなたも油断しちゃったんでしょ。ガンはね、もう一度なったら、ずっと死ぬまでガンなのよねえ」と、話が弾む。

「主人の妹も乳がんでねえ、5年再発しなくて大丈夫だからって油断して、仕事しすぎて、もう全身に転移しちゃってねえ、苦しんで苦しんで、結局40代でねえ、助からなかったのよ」

…何とタイムリーな。そうですか。
でも、この方のご主人の妹さんが40代って?

「それは、いつ頃のお話なんでしょうか?」
「もう40年近く前ねえ…(遠い目)」

まあ、たぶん、今とは治療法も全然違ってますね…。

その方が降車された後、遠い目で外の景色を見つめていると、メールが。
な、何と昨日アップした、10年後に再発した先輩ガン患者さんからだった。ダメモトで、昔いただいた携帯メアドに送ってみたメールへのお返事。

とってもお元気。肺に転移して6年半。
免疫療法&抗がん剤が効かなくて、一時はガンが4,5センチ以上の大きさになっちゃって、咳には血痰が混じって、どうなる事かと思ったのだけど、別の治療を経て、今はガンの活動もそのまま停滞しているので、お仕事も元気に活躍中。私の事もよく覚えてくださっていて、遠いから何もできないけど、応援しているからとのメッセージ。

上手にガンと共存されている転移先輩患者さんたちの活躍は、それだけで嬉しい。半年に一度、K病院に通われているとのことで、次回の通院時に無理やりお会いしようと決意。


エンドキサン2週間分: 780円 
(副作用:血尿、排尿障害、悪心、嘔吐、胃痛、腹痛、下痢、便秘、口内炎、食欲不振、脱毛)

診察代:410円


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# by ombres | 2010-09-06 23:12 | 再発後治療