困った病気になっちゃったひとりぼっちな人のために


by ombres
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告知に至る道 その前に

ゴムマリ胸の悲劇。

「男は女の胸が好き」…これは経験から得た真実だ。 

しかし、その反対はどうかと思う。女の象徴である胸の谷間にうっとりと顔を埋めたい男の数ほど、男の象徴である股間にうっとりと顔を埋めたい女はいない。女性の胸を触ってみたいと思う男性ほど、男性の股間を触ってみたいと思う女性はいない。痴漢と痴女の数は比べる必要すらない。

女性の象徴は単純に胸やお尻しかないのだが、男性の象徴は股間の物だけではなくて、経済力であったり社会的ステイタスだったりもするからだろう。お金や偉い人が大好きな女性は多い。たぶん股間に何もなくてもそれだけでいいという女もいる。

男女はかように違う。全く別のイキモノなのだ。 誰かも書いていたが、男が火星から来たマーズだとすると、女は水星から来たビーナスなのだ。これが私のスタンスだった。(どうでもいい)



さて、私の胸は非常に弾力性があり、巨大なゴムまりのようだった。そして、その胸が、生理に合わせ、全体が硬くなって痛くなったり、形が変わったり、大きくなったり、小さくなったりするのは、思春期以降いつもの事だった。プラス、デカ乳女は誰でも経験あると思うのだが、ブラなしで走ったりすると胸が攣れて痛くなったり、重いためにやたら肩こったりするのも日常茶飯だった。胸が目立つのが嫌で、つい猫背になってしまう傾向もある。デカ胸は武器にもなるが、このように困った事もたくさんあるので、プラマイゼロだ。しかも、デカ胸女は「物理的に胸が痛む」に慣れているため、胸の痛みに鈍感になる傾向があるかもしれない。気をつけるべきだ。

さて、そんなゴムマリ胸に変化が生じたのは、1999年頃、まだカナダにいた頃だった。右乳は、ゴムマリからタヨ~ンとした柔らかい胸に変化した。しかし、左乳は乳首を中心に以前と同じように巨大なドーナツのようなゴムマリ状態のまま。しかし、生理の周期に合わせて張ったり痛んだりするのは、両方とも以前の通り。 要するに左は昔のままで、右だけが老化して柔らかい水っぽい乳房になってしまったのでは? 老化か…。参ったな。デカ胸は垂れ易いから、胸筋を鍛えねば…などと考えていた。

大学校内にクリニックがあった。かなり本格的なクリニックで、常時数人の総合医がおり、地元に主治医のいない教職員や学生はまずそこで診察を受け、必要であれば専門医に引き継がれる仕組みだ。自分がどこが悪いのかかなり明確に判っていても、最初から「専門医」に診てはもらえない。当時、婦人科検診(子宮)などもそこでやってもらっていた。子宮検診は30歳過ぎたら毎年やるべきだと非常に熱心に行っていた。 全然痛みもなく、非常に上手でもあった。クスコはプラスティックの使い捨てだった。

その時、ついでに乳の方も気になって触診してもらった。しかし総合医は、左右の硬さが余りに違うのに驚きはしたが、「全体が同じように硬い」という乳の状態を触診し、「家族にガン患者はいるか?」「コーヒーを日常的に飲んでいるか?」「タバコを吸っているか?」と尋ね、私がすべてを否定すると、「まだ若いし、これ(触診)以上の検査は勧めない」「乳ガンは、普通は痛まない」「アジア人は乳ガンになりにくい」などと言われ、専門医には紹介してもらえなかった。 

さて、ここにカナダ医療の欠点がある。外国人でさえ、非常に安い保険料で医療費は基本的にタダという素晴らしい環境だ(薬はタダではない)。しかしながら、勿論、州によって異なるが、私のいた州では、専門医に引き継がれるまでに、非常に時間と手間がかかった。

それより以前に、腹部の痛みを訴えた時も、総合医が何度も色々な薬を出し、それらすべて試させられ、結局どれも効果がないと判った時点で、ようやく専門医への紹介を検討し始めた。 「以前、日本で十二指腸潰瘍をやった事があり、それは完治したが、また出たのかもしれないので、胃カメラで診て欲しい」としつこく訴えて、やっと専門医に引き継いでくれた。しかし、専門医の予約を取れたのはその数ヶ月後。胃カメラの予約ができたのも、かなり後になってからだった。ちなみに、日本でよくやるバリウム検査は、体に良くないからやらない、と断言された。 

具合が悪くなったのに、半年後にしか取れなかった専門医の診察を待って、手遅れになって亡くなってしまった人がいる、という噂が現地では結構あったが、100%ウソではないと思った。 しかも、ナースや救急車、そして病院までもがストをして、救急医療がパンクした、などという日本では有り得ない事態になっていたのも目撃した。生命を守る、それこそ「ライフ・インフラ」の業務に携わる人々の労働条件を向上するのは確かに大事だが、そのような職種に「ストをする権利」を認めるのはどういうものだろうか?と、しみじみ考えたものだった。


我が家は健康で、死因は老衰がほとんどだからと気楽に構えていた。唯一、病気経験は父で、若い頃の結核。そして、不潔な注射針使用の予防接種か何かのせいのC型肝炎。しかし、これを遊びすぎの不摂生で「肝硬変」にした後、医師に「ガンになる恐れもあり、命はあと数年」といわれ続けてもガン化せず10年以上経過していた。しかも、甘い物の食べすぎで糖尿病になり、失明するだの足が壊死するだの言われ続けて10年近く元気で、肝性脳症になっても元気に復活し、普通に暮らしていた。そんな元気な家系の自分は健康その物だ。今では、タバコも止めており、累積喫煙年数も10年に満たない。お酒も月に数回嗜む程度。 食生活は無農薬の野菜とマメ製品が中心。運動も定期的にしている。サプリメントもバッチリ。空気の綺麗な山暮らし。学期初めと末は色々と忙しいが、週に2,3回の講義しかない暢気な仕事。これで、一体どうやって病気になる? 十二指腸潰瘍も治ったし、私も老衰一直線に決まっている。では、どうやって、どこで長い老後を過ごそうか? 日本だと、お金ないと辛いかしら? じゃあ、老後はカナダか? …と、考えはそちらのベクトルだった。勿論、ガン保険などにも入っていなかった。

それからしばらくして、同じクリニックで再度、別の先生(北欧移民の綺麗な金髪女医さん)に何かのついでに触診してもらったが、やはり「左右が余りに違うのは変だが、感触的に悪い物ではないようだから、検査は勧めない」と言われた。まあ、この時点では、本当にガンではなかったかもしれないのだが、心配だから検査をお願いしたいと熱心に頼めば、何とかしてくれたかもしれない。 …そう、半年後とかに。


そして、2001年の暮れ、帰国した。
以降は、父のために毎日病院に通い、仕事もろくにできないし、出かけられないし、父の事業を片付けねばならず、それに伴った経済的問題も発生して、ほとほと疲れて非常にストレス過多な日々ではあった。シコリのガン化に「ストレス」が関係しているのなら、おそらくこの期間だろう。

実家の隣に内科がある。地元で長くやっている先生で、我が家は先生を信頼して、全員がかかっていた。 10年以上前に肝硬変で余命数年と言われた父がまだ元気なのも、この先生のお陰だった。私もカナダに行く前は、毎年、バリウム、胃カメラ、レントゲン。4ヶ月に一度血液検査などをきちんと受けていた。何度か胃炎や十二指腸潰瘍にもなったが、都度、先生にお薬で完治してもらっていた。しかし、帰国後は何でも父が優先で、自分の事どころではなく、全く診てもらっていなかった。

兆候はいつから顕著になったのかと、2003年の手帳を見てみると、生理日が1月17日。非常に正確な約28日周期で次が2月13日。そこに1月26日と30日に胸が痛いマークが付いている。それが「胸が痛いマーク」の付け始めだった。以降、毎月付いている。5月には、生理後の一週間5日連続で「痛いマーク」が付いていた。この頃か、もう少したってから、お隣の先生に触診してもらった記憶がある。やはり「左右お方さが余りに違うので変だ」と言われたが、左胸全体が同じように張りがあり「しこり」のような区別がなかったため、「経過を注意して見ましょう」と言われ、痛み止めを貰った。昔からある痛みが酷くなったのだ程度に、自分も考えていた。その頃、ようやく父をリハビリ施設に入所させる事ができ、介護から解放され、仕事に就いていた。非常に忙しく、月の残業150時間などという時もあったが、とても楽しんでやっていた。

10~11月になると、思わず呻いてしまうほど胸は痛くなってきた。おまけに、太股の上の方に、奇妙な「湿疹」ができて、いつまでもジクジクと治らなかった。 背中にもブツブツ出てきた。今考えると、全身の抵抗力が弱っていたのかもしれないが、「皮膚の老化かな?」と思っていた。 この頃、ベッドに横になると眩暈がするという不思議な現象も起きていた。目を瞑るt、星のような物がちらつき、周りがグルグル回る。しかし、特に日常生活に支障がないので、気にしなかった。

「私はガンの家系じゃない」「タバコも止めた。お酒も習慣的に飲まない」「乳がんは痛くない」「サプリメント摂ってる」「青汁や緑茶を飲んでる」「栄養のバランスいい食事をしている」「大豆も海草もキノコもよく食べてる」…と、そんな自分がガンになるとは1%すら思っていなかったので、当然、検査の必要性も感じなかった。ガン保険なんか、全く入ろうとも思ってなかった。


病院に行かねばと思ったのは、2003年の暮れだった。左乳首が陥没し、乳房の形が上部に攣れて奇妙に変形してきた。 その上、生理が終わってから痛い…のではなくて、まだ生理中だったのに、もう周期に関係なく胸は痛むようになってきていた。 その頃、左胸は上部半分を除いて、右のように柔らかくなってた。以前は全体が硬かったのに、上部だけが硬く残ってしまったという感じだった。それでも、まだ「ガン家系じゃない」「乳がんは痛くない」とか「もし、これがガンだったら、こんなに大きくて、そしてこんなに何年もここにあったなら、自分はとっくに死んでいる」と、考えていた。


年末からひいた風邪は、中々治らなかった。私にしては珍しく、丸3日、発熱もした。 熱は下がっても微熱が続いた。いつまでも鼻が出て、ズルズルしていた。ここ数年、風邪など引いたことがなかったので、そちらを治す事が気になって、胸はどうでも良くなってきた。

1月13日、社内マッサージで指圧してもらった時、左の肩に洒落にならない痛みを感じた。表面的ではなく深部から疼くような形容し難い、しかも息が詰まるような痛みだった。さすがに「ナニ?」と思わざるを得なかった。 「これは単なる肩こりじゃない。もしかして、乳の方から来ているのかも? だったら、乳は相当悪いな」…で、職場に近い婦人科が友達に評判が良かったので、その日に診てもらおうとした。しかし、そちらは婦人科で「子宮関連」なので、乳房は乳房の専門医に行ったほうがいいと助言され、「そうか、乳房専門のお医者がいるのか」と初めて知った。 『無知の知』。

しかし、翌朝、結局、長年お世話になっている隣の先生のドアを叩いた。自分の既往症もすべて把握している先生がいいだろうと思ったからだ。それも、偶然、地下鉄に乗り遅れてしまったので、「あ、遅れるならついでに、診てもらおう」などと思いついた結果だった。 それがなければ、まだ痛みを抱えてグズグズしていたに違いない。でも、そのグズグズしている間は、今日の続きで未来の扉を開ける事ばかりを考え、それは幸せだったろう。


すべての物事は、当人が認識した瞬間に「事象」として存在し始める。 
…まさにそういう事だ。私のガンは、私にとっては、ガンと宣告されるまで存在しなかった。
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by ombres | 2003-12-31 00:00 | 告知に至る道