困った病気になっちゃったひとりぼっちな人のために


by ombres
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5) 病院ライフで傷つくな

滅入らない

日本の病院は暗い。汚い。通院だけでも気分が滅入る。

最近では、ホテルのように素晴らしい病院も稀にあるが、殆どは汚いし、狭いし、臭いし、無機質でつまらない空間だ。海外のクリニックのように、ふかふかのカーペット敷き、ナチュラルウッドのインテリア、広々とした心地よい空間…なんてのはまず期待できない。



おまけに医師過剰とか言いながら、医者も看護士も目一杯忙しそうで、あっちの医療な人々に比べると全然ゆとりがない。あっちは30分か一時間に一人しか診ていないが、日本のお医者は一日数十人診ている。物理的に患者の人格やら人生やらまで見られない。この忙しさだと、たぶん、患者の顔も見てなくて、乳しか覚えていない。(余程、変な患者なら別)

しかも、病院だから、周りを彩る人々も、当然、病人しかいない。ハードもソフトも目一杯ショボい。昨今の日本では極めて珍しい「不思議空間」とも言える。

本当にこれが経済力世界でナンバー2の国の空間なのであろうか?と余りの非日常ぶりに、自分はとんでもない世界に足を踏み入れてしまったのではないかと、戦慄すら走る。

さて、どうせ異次元の世界へ踏み入れた気分なら、1945年、敗戦のショックで焼け野原に悄然と立ちつくしていた日本人が、タイムスリップしてきた気分になってみよう。どんなにショボい病院であっても、戦後すぐの日本人が見たら、夢のような施設に違いない。さあ、思う存分、飢えを満たせ、雨露をしのげる場所をエンジョイしよう。この世界では、素晴らしい事に「白米」が食事に出る。また配給手帳がなくても、きちんと食事が支給されるので、心配はいらない。

こうしてすっかりタイムスリップ気分を満喫すると、尾羽打ち枯らしたショボい人々(含む自分)が収容されている汚らしい空間であっても、戦後すぐなんだから仕方ないと納得できるだろう。威圧的な医者に対しても、「進駐軍か。仕方ないな。ポツダム宣言を受諾しちゃったんだしな」と、諦めの気分にもなれる。感じ悪い同室患者に対しては、「ああ、この人は敗戦のショックで、すっかり頭がおかしくなってしまっているのだな。悲惨な…」とか「内地から引き上げてきて、まだ本土の常識が理解できていないのだな。お気の毒に…」とか、もう慈悲の気持ちすら湧いてくる寛容な自分に気付く事だろう。目に余まるようだったら、MPに報告しよう。ちなみに、この世界でMPは「看護士」と呼ばれている。女性の場合は、衣装をモンペなどに変えるとさらに雰囲気が高まる。

病院は、プライバシーがないからイヤなのだとお嘆きのアナタ。そんな概念が日本人に移植されたのは、ごく最近のことだ。もともと外来の観念なため、日本人が「プライバシー」をきちんと認識できているかも怪しい。狭い国土にひしめき合って生きてきた日本人は、物理的空間に自分の世界を求めていたのではなく、誰にも踏みにじられる事のない心の中の空間で自分の世界を築き、そこで「自我」を育ててきたはずだ。「生け花」と「フラワーアレンジメント」の空間の使い方の違いにも顕著だ。さらに先進国でありながら、あの満員電車。物理的にはぎゅーぎゅーにパックされながらも、精神的には「そこにない空間」をイメージできる世界観(妄想スキル?)は、日本人が世界に誇れる財産だ。ありがたく継承しよう。

病人にとっては、汚くても、臭くても、プライバシーがなくても、景色がよくなくても、病気に適切に対応してくれる病院と先生である事が大事だ。

病人ライフで気弱になると、臭いや音、他人の態度など些細な事が気になって一喜一憂しがちだが、一々傷ついたり涙したりでは、疲れ果ててしまってやっていけない。確かに日本の医療現場の問題は多いし、少しづつ変えていく必要はあるだろう。現場の人の意識も変わりつつあるが、現状ではそんなに劇的変化は期待できない。ただでさえ、病気や治療は疲れる。それ以外の事に自分の生命力を浪費すべきではない。
 

医師に過剰な期待をしない

乳を診てくれるのは「外科」の先生だ。精神科の先生ではない。
患者の気持ちに寄り添えとか、本来無理。もし寄り添ってもらえたら、超ラッキー。腕の良い先生は、学会やら海外の研究やら「乳の道」を極めるのに非常に忙しくて、「傷つき易い患者との効果的なコミュニケーション」まで習得しているヒマはたぶんない。


尊厳を安売りしない
物扱いされたくらいで、人間の尊厳はなくならない。どんな扱いだって、どんな言葉だって、人の尊厳までは奪えない。モノ扱いされたって、イチイチ気にするな。日本の医療現場は、そう快適なものではない。だったら、自分も気にしないでモノと対峙している気分になるのだ。もしくは、自分は女王だ。

「はい、脱いで、そこ」
(激烈に感じ悪い検査技師+冷たい検査の台+裸:無力感=レ・ミゼラブル気分最高潮)

女王バージョン:(まあ、何と口をききかたを知らないシモベだこと。これだから下々のモノは困るのよ…)
モノ扱いバージョン:(言語プログラミングがまだまだだな…)

女王はシモベの前で、人はモノの前で、脱いだって胸出したってお尻出したって、別に尊厳に関わるような事ではない。患者(自分)が弱いもので無力で「立場が下」だとの負い目、もしくは、「患者なんだから大切にされて当然」という意識があるから、モノ扱いされて悲しくなるのだ。もしくは、対等なコミュニケーションをあえて持とうという優しい気持ちが自分を傷つけるのだ。「女王サマ」が躾のなってない奴隷やプログラム不良のロボットと仕方なく接してやっているのだと思えば、相手がどんな態度でも、慈愛の心すら持てるかもしれない。

人の尊厳は、誰にも、どんな物にも奪えない。
自分の尊厳が踏みにじられたと感じさせるのは、他でもない、自分自身だ。

自己防衛のためにも、ズボラになろう。図太くなろう。
そうして自分の心にを着せて、自分を守るのだ。その技は、自分にしか使えない。

ガン患者には、他に傷つくことがたくさんある。
自分を守ってあげよう。自分自身にしか、自分の心を守ってあげることはできない。
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by ombres | 2004-02-24 00:05 | 自分を不幸にしないために