困った病気になっちゃったひとりぼっちな人のために


by ombres
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

田原節子さんのこと

昨日は咳が出過ぎ。で、電話相手のTに「その咳、変だよ」と言われたので、都内クリニック内科のU先生(主治医のU先生とは別の先生)に電話して相談してみる。「肺のガンの進行が思いがけず早かったのかしら?」などと浸っていると、単に「風邪じゃないですかネ」とか言われて終わり。まあ、進行していたとしてもとりあえず二週間はXCな訳で、ガタガタしても仕方ない。風邪については、今週金曜日に診ていただく予定なので、まあいいとした。

で、風邪だとしたら、暖かく大人しくしていれば、数日で普通に治るはず。エアボーンでビタミンとミネラルをブーストして、頭は保冷剤を手ぬぐいで包んで冷やし、足は湯たんぽで温め。余り熱が出ない体質なので、水分補給して、これでガンガン汗かきながら寝れば、大抵は平気。で、ゼローダとエンドキサンを飲んだら、久々にレンドルミンで、無理やり眠ってしまう。朝7時にすっきり目が覚める。喉のわずかな痛みと、咳ちょっとに収まっているので、大丈夫そう。

で、洗濯と、寝室の模様替え。ベッドの位置を変えてみる。ついでに徹底的にお掃除。あんまり頑張ることもないので、一日一部屋。今日は寝室だけ。病人に優しいレイアウトにKAIZEN(トイレまでの歩行距離を短く。動作数を減らす)し、アロマ用品も設置した。あとは家中のマットも洗濯して、全体に軽く掃除機かけて、終わり。肺を労わるために、お掃除中はマスク着用。今日の予定は、あとはウィルスソフトの入れ替えと溜まっているDVDを見る。終わり。何てステキ。

ここ数年は、自分がガン患者だという事を忘れて過ごしていた。3ヶ月に一度のリュープリンや通院はあっても、検査は形式的だったし、いつも異常なしだったし。最初の頃は、どこか痛いと「て、転移か?」とビクついたものだったが、それも、3年、5年と経つうちに鈍感になっていった。最初の頃は同じガン患者さんのサイトやブログをよく見ていたが、そのうち自分の日常から「ガン」は消えて行った。あえて、見ないようにしていたのかもしれない。

で、転移してから、最初の治療の頃のことを思い出してみるようにした。何たって6年も前だし、抗がん剤のせいで脳細胞も破壊されたし、ホルモン治療のせいで記憶力はウソみたいに衰えているし、もや~っとセピアな感じで、全体的にうろ覚え的だったり抜け落ちたりしているのだけど、はっきりと心に残っているシーンや言葉がある。

田原節子さんに、一度だけ、お会いしたことがある。
患者活動を活発にされていたLさんという方が、ご自分も独身だったので、私をとても可愛がってくださった。進行ガンだったので可哀想にも思っていてくれたのか、色々な所に連れ出してくださった。(今回、「転移しちゃいました」なんて報告すると、「全く、何やってんの!」何てすご~く怒られそうなので、まだ言ってません。秘密。でも、Lさんは何十年も前に全摘で、その後に海外出張とか海外赴任とかこなされていた方で、現在もバリバリご活躍中なので、男性社会で対等にやっていくには、実際には男性の何倍も頑張り続けなきゃならなくて、スローダウンなんて絶対に無理というのを、たぶん一番理解してくれるだろうとも思ったり。)

田原さんはLさんのお友達だった。
一度目は、自由が丘で「私を励ます」という目的でお約束したのだが、節子さんの体調がお悪くて実現しなかった。ガンになりたての私を励ますどころか、当時の節子さんの方がよっぽど大変な治療をされていた。

実際にお会いできたのは、春先。節子さんのご自宅(仕事場)で、ACSが販売している帽子を取り寄せて、品評会みたいなイベント。他にも節子さんとLさんのお友達のガン患者さんが数人来ていらした。失礼な話だが、私はその前にずっと日本にいなかったのと、日本のテレビや雑誌を余り見ないので、節子さんがどんな方なのか、よく知らなかった。田原総一朗さんは「朝まで生テレビ」の司会?その人の奥さん?程度の認識。

節子さんはエッセイスト。1998年に炎症性乳がんで余命半年と診断され、その後6年、全身のあちこちに転移しながらも精力的に活動を続けられて、当時、S病院で治療を受けられていた。その頃は、もう車椅子で、お嬢さんと妹さんが付き添って介護されていた。それでも、節子さんは背筋を伸ばして、そして、お二人が何か手を出そうとすると、ピシャリと叩き退け、できる事はすべてご自分でやられていた。

皆でキャーキャー笑って、お食事して。
少しだけ穏やかに春めいた日。楽しい一日だった。

ガンになって以来、ずーーーっと、年上の皆さんや先輩患者さんに「頑張ってね」と言われ続けていた私は、帰る時、

「今日はどうもありがとうございました。これからの治療、頑張ります」と無難に言ってお別れしようとした。

ところが、節子さんは、私の手を握り、

「治療、頑張らなくていいの。『生きる』のよ」

そう言われた。

「治療を頑張らなくていい」…そう先輩患者さんから言われたのは初めてだった。


数ヶ月後、節子さんは亡くなった。
私の手術の3日後。丁度、入院していたので、退院してから知った。お別れには伺えなかった。

それから6年、時間を与えられた。
節子さんが仰られたように、自分は『生きて』こられたのだろうか?

かなり不明。

でも、弱っちゃった全身に宿る節子さんの強い意思と矜持、女子高生のような皆の笑い、佃の川の水面に反射する光の美しさ、まだ肌寒かったけど僅かに春めいていた風の優しさ、そしてお食事の美味しさは、今でも鮮やかに記憶に残っている。


…結局、自分は食い気に戻る人間?
リターントゥザベーシックってヤツですかね。


節子さんの5年間の対談:
ガンサポート情報センター「田原節子のもっと聞きたい」



情報収集でお世話になったリンクとランキングです。
↓今日の書き込みがおもしろかったら、クリックしてやってください。


にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
にほんブログ村
[PR]
by ombres | 2010-09-09 14:37 | 亡くなった友達のこと